「自由」
このフワフワ感はなんだ。
あやふやな。定まりのない。定まってはいけないやつ。
しかしこの「自由」ってやつは絶大な言葉の力を持つ。
(例)
「なにをしようと私の自由じゃん!」
この一言はどんな場面でも使用可能だ。スゴイ力を持っている。さらに…
「〇〇な自由」なんてものは六法全書を開けば盛りだくさんに記載されている。
法律まで味方なのさ!
その言葉を選択した瞬間、「私は法律!」と言っているといっても過言ではない。
もう、なにもできない。
さて、これは恋愛においても重要でござーる。
自由なき関係は、息苦しさを生む。この息苦しさが束縛であったり、いいかえると「重い」というやつである。
この息苦しさを一度恋愛の中で経験すると、今後の関係の中では「束縛」を避けようとする。
だから今後選ぶ相手は、自分に自由を与えることができる人を選択する。
言い換えるなら、「ほっといてくれる人」であり、かっちょよくいうなら「包容力」である。
その価値観は付き合ってからでないとわからないし、付き合う人によって変わってくる。
だがしかし、私は関係の中で「自由」が多すぎると必ず苦しむ面が出てくると思っている。
それは、接近した時間が続くと関係が崩壊するというリスクがある。
お互いが自由すぎると、いざ接近した時間が続くと相手がなにを好きで、なにを嫌いか把握してないから、どこに気を使う必要があるか、譲るべきもの、譲れないものがわからない。
これは付き合ってから関係を築いていくなかで、時間をかけて把握していくもの。一気に把握すると、それに対応しきれなくなって互いにパンクするリスクがある。
これは時間をかけても知っていかなければならないものである。
また、自由な関係の中でも2人で何かを成し遂げたものがないと、2人でいる意味がない。なぜかって、なぜ、その人を選択したのか?という疑問を持ち始める。
果たして、なぜか?そりゃ自由を与えてくれるからである!といいたいが、それならば誰でもよいのではないか?
そう。
恋愛は「この人しか、この世にはいなかった」から幸せなのである。
この人以上にいい人は存在するけど、この人はこの世に1人しか存在しない。という思いをもてるから幸せなのである。
最後のとき「この人を選んでよかった」と笑って居られる瞬間があるから幸せなのである。
自由な関係の中で、2人で何かを成し遂げて、完成させて、失敗して、思い出をたくさん作っていれば、それは「この人を選んでよかった」となるであろう。
しかしこれがないと「1人」であるのと一緒ではないであろうか。
『自由が一緒な2人』
これが理想ですね。